この道を始めた動機編

私は、ある電子機器を製造販売しているメーカーに勤務して当時、専門職の主査をしていました。
仕事は、エンジニア、海外駐在員、技術部門で製品評価、商品企画部、OEM営業支援と
移動し、事業所もいろいろ変わり会社生活で、約3年毎にイベントがあり生活に変化があり
その変化が、生活のリズムになっていてリフレッシュされモチベーションの元になっていました。

ところが、現在所属しているスタッフ部門は、3年経っても何も変化がなく仕事にワクワク感が、
感じられなくなりモチベーションが、低下気味になっていました。
そんな私に転機が来たのは、50歳の時でした。

部門の懇親会の時に、上司から「川口君、このままでは君が帰れる部門ないと思うよ」と告げられました。
この言葉の意味は、「仕事ぶりが評価されていないと言う意味であり、危機的な状況」だと判断しました。
(スタッフ部門は、色々な部から集められたメンバーで構成されていて、数年ごとにローテーションで、
メンバーが入れ替わる仕組みになっており、入れ替わる時は元いた部に戻るのが普通でした。)

危機感を感じた私は、今の仕事以外の仕事で会社にとって価値のある手に職をつけようと考え、いろいろい
考えました。出した答えは、社内教育で自分が興味があったコーチングの技術を身につけることにしました。

そして、「コーチA」と言うコーチングの教育機関の教育を受けることにしました。費用は、約40万円です。
会社で自己啓発の教育を受ける場合は、10%の教育補助が出るので、総務部門に補助金の申請をしました。

すると総務部長に呼ばれ、「社内教育のコーチングの講師が、定年になるので川口さんが、やってくれるなら
受講料は、100%会社で支払います。」と告げられました。
私は、喜んでお引き受けすることにして、仕事をしながらコーチングの勉強の日々が、始まりました。

次に続きます。


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